『修羅ノ山道』(福島正則)
反石田三成の急先鋒としられる豪傑。
羽柴秀吉が出世するにあたり、子飼いの武将として育て上げた人物。
加藤清正らと共に、賤ヶ岳の七本槍として勇名を馳せた。
任侠的な性格で、気性が荒く、涙もろい。
故に戦好きでめっぽう強いが、酒に溺れた失敗話も多いが、そこが彼の魅力となっている。
関ヶ原合戦では、秀吉の妻ねねの言に従い徳川家康の味方となった。
元々、朝鮮出兵の際から石田三成との不和となっており、関ヶ原合戦は豊臣家内部の派閥抗争が激化したものだと言っても良い。
しかし、福島正則に限っては、秀吉の子秀頼のためという信条で動いていた。
大坂ノ陣では江戸留めとされ、参戦が許されていない。
また、のちに広島城改築で謀反の疑いがかけられ、改易されているが、もはや徳川秀忠時代では、彼が生きていけない世になっていたといえる。
★デザインについて
本陣旗の山道や軍旗、家紋などの意匠をあしらったデザインで、肩には羅刹の文字を入れています。