※注:こちらは個別購入ページです。
『墨城印』BOKUJOUINは、墨絵師御歌頭さんによる連作『墨城画』が入った戦国魂オリジナルの御城印です。
■サイズ 105㎜×148㎜
■紙(日本製)
御城印としてお楽しみいただけるほか、ポストカードサイズのフレームに入れてお楽しみいただけます。
■増山城址■
住所:富山県砺波市増山
アクセス
・JR城端線砺波駅から車で20分
・北陸自動車道砺波ICから車で20分
・加越能バス「砺波総合運動公園線」で「東開発」または「北明太子堂」バス停下車、徒歩60分
※冠木門から二ノ丸(本丸)まで徒歩約30分
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※バスは一日数本出ていますが、最寄バス停から冠木門まで1時間ほど歩きますのでタクシーや車などの利用をお勧めします。バスの利用をお考えの方は事前に時刻表をご確認ください。
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『続日本100名城』
富山県内にある守山城跡・松倉城跡とならんで「越中三大山城」の一つ。
戦国時代には守護畠山氏の守護代を務めた神保氏の重要拠点だったが、永禄3年(1560年)神保長職は長尾景虎(謙信)の侵攻によって富山城を攻められると増山城に本拠を移した。同時期に長尾景虎は佐竹義昭宛ての書状(永禄3年4月28日付)の中で「増山之事 元来嶮難之地」(増山城は古くから攻めるのが難しい城である。)と増山城の堅城さを伝えている。
長職は上杉家には度々離反と降伏を繰り返したが、家督を継いだ神保長城が天正4年(1576年)再び攻められて降伏。代わって上杉家の吉江宗信が城主となった。
天正9年(1581年)には織田軍によって焼き討ちに遭い、越中を平定した佐々成政の支配下に入った。
小牧長久手の戦いを機に佐々成政が羽柴秀吉に反旗を翻すと増山城も普請により修繕がされたようだが天正13年(1585年)に降伏。以後、前田利家の家臣・中川光重が増山城に入り、元和元年(1615年)頃までに廃城となった。
■主な城主
神保長職・吉江宗信・佐々成政・中川光重
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