※注:こちらは個別購入ページです。
『墨城印』BOKUJOUINは、墨絵師御歌頭さんによる連作『墨城画』が入った戦国魂オリジナルの御城印です。
■サイズ 105㎜×148㎜
■紙(日本製)
御城印としてお楽しみいただけるほか、ポストカードサイズのフレームに入れてお楽しみいただけます。
■佐柿国吉城(佐柿城/国吉城)址■
住所:福井県三方郡美浜町佐柿
アクセス:JR小浜線「美浜」駅から徒歩約25分、または「美浜」駅から敦賀行きバス「佐柿口」下車で徒歩約5分(コミュニティバスは「佐柿」下車)
※登山口から国吉城跡(山頂)まで徒歩約30分
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福井県三方郡美浜町に位置する山城・佐柿国吉城。
古くは佐柿城の名で知られた若狭国と敦賀国の国境に位置した山城で、永禄6年(1563年)~朝倉氏滅亡までの10年間にわたり、ほぼ毎年朝倉家の侵攻を受けながらも防ぎ切ったという堅城となります。
その城主は若狭武田氏の家臣の粟屋勝久。織田信長も元亀元年(1570年)4月朝倉氏への越前攻めに際して木下藤吉郎・徳川家康らと入城。長きにわたる勝久の采配を称賛したと伝わります。その後、勝久は織田家で若狭衆として活躍していますが、江戸時代初期頃になると三方郡佐田の土豪・田辺半太夫安次(宗徳入道)が自身の体験記として軍記『国吉籠城記』が書かれ、国吉城の名と共に「難攻不落の城」として広く知れ渡るようになったとされています。
粟屋勝久以降も木村定光・京極高次・酒井忠勝らによって佐柿の整備がすすめられたようで、廃城の時期については諸説ありますが、京極氏に代わり酒井氏が小浜藩主となった寛永11年(1635年)に廃城となりました。難攻不落の城として有名となった国吉城(佐柿国吉城)は『続日本100名城』にも選定されています。
ちなみに今回の墨絵画では背景として佐柿国吉城の出城としても知られる岩出山砦も描かれております^^
■主な城主
粟屋勝久・木村定光
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