武将印紹介7 「北条氏綱」(墨将印)
北条五代の二代目・氏綱は1518年、32歳の時に父・伊勢宗瑞(早雲)から伊勢家の家督を継ぎました。
戦国初期で下剋上をした人物として古くからその名が知られていた早雲と、武田信玄や上杉謙信という肩を並べて割拠した「相模の獅子」氏康という有名な2人に挟まれてしまい少しマイナーな二代目の感じもしますが・・・・実際は北条好きにはたまらない(笑)とても素晴らしい人物です!><
小田原城を居城に据えて相模国から駿河国・武蔵国へと進出を果たし、優れた治世を行った北条氏綱。
昨日7月19日が命日(天文10年7月19日)にあたりますので、本日は氏綱の紹介です^^
北条家への改姓
伊勢家の家督を継いだ氏綱は、民が平和に暮らせるよう願いを込めて「禄(財産)と寿(生命)が応(まさ)に穏やかであるよう」にと虎朱印『禄寿応隠』を使用した事でも有名ですが、1523年に伊勢から北条と改姓したとされています。
北条への改姓は関東で知名度の高い鎌倉北条家の名を使うことで、伊勢家に反抗的な在地勢力に対して相模支配の正当性を示せる為ともされています。しかし縁もゆかりもない鎌倉北条姓を勝手に名乗った訳ではなく、近年では正室の養珠院(氏康の母)が鎌倉北条家の末裔にあたる一族だった可能性も有力視されるようになりました。(『高橋家過去帳』)
北条五代の中でも器量人として知られる氏綱は、父・早雲の実施した「四公六民」策などを引き継ぎ、年貢軽減や中間搾取の制限などの仁政を尽くしました。
ちなみに墨将印の氏綱は琵琶を持っていますが、これは『北条記』を基にしたアレンジとなります。
この話の中で氏綱は浅草寺に立ち寄った家臣から弁財天の話を聞きます。時を同じくして連乗院の長老からも「観音様が姿を変え、人々に富を与える弁財天を北条家のご本尊とすべき」との意見があったことを受け入れ、江の島の弁財天を小田原城に勧請したといいます。その名残は二の丸の北側に蓮池弁財天曲輪跡として伝わっています。
勝って兜の緒を締めよ(『北条氏綱公御書置』)
早雲より21ヶ条の遺訓を受け、それを忠実に守って北条家の礎を築いた氏綱。自身が亡くなる直前にも、まさに帝王学ともいえる5ヶ条の「北条氏綱公御書置」を氏康に伝えています。その5番目に書かれているのが有名な「勝って兜の緒を締めよ」です。
いくさでも大敗することの無かった氏綱や氏康の、北条家の強さの秘訣ともいえる名言です。
また近代では「古人曰く、勝って兜の緒を締めよ」と東郷平八郎の訓示でも引用されています。
大切なことはちゃんと時代を超えて語り継がれるのですね。><
■武将印
サイズ 105㎜×148㎜
和紙(日本製)
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