御城印紹介5 「石垣山城」(墨城印)

小田原城を見下ろせる笠懸山(神奈川県小田原市)に位置する石垣山城。秀吉の「石垣山一夜城」の伝説でも有名なお城です。
昨日が北条家時代の小田原城の紹介だったので、続けて石垣山城の紹介です。^^

関東初!”石かけの御城”

続日本100名城にも認定されている石垣山城は、箱根から連なる山々の一つに位置する「笠懸山」にあります。

1590年15万もの大軍を率いた豊臣秀吉が小田原北条家を滅ぼす為に築いた城で、それまで土塁の城が中心であった関東の城の中では初となる総石垣の城郭となります。

「笠懸山城」ではなく「石垣山城」と呼ばれる所以も、その総石垣にちなんで付けられています。
徳川家家臣・松平家忠の6月22日付の日記には、このお城について”石かけの御城”(『家忠日記』)と書いており、これが「石垣山城」命名の所以とも言われています。

 

石垣山一夜城

『北条記』などには石垣山城の逸話として「表向きの松の枝ども切りすかしければ、小田原勢肝をつぶし、こはかの関白は天狗か神か、かように一夜の中に見事なる館出来たるぞや」とあります。

 

秀吉は林の中で塀や櫓の骨組みを造らせると、そこに白紙を張って白壁の城壁のように見せかけ、夜のうちに周囲の樹木を伐採して小田原城の将兵に一日で城が建ったと勘違いさせて士気を失わせたと伝わります。

・・・・一夜城の話は何か秀吉っぽくって個人的に大好きです^^

 

 実際のところですが、もちろん1日で造られたものではありません。

1590年4月~6月の約80日間、のべ4万人が動員された秀吉の普請の中でも最大級となる一大プロジェクトでした。

北条家側も秀吉の本陣付近が騒がしいと気づいてたとしても、周囲の木が伐採されたと思ったら、予想もしなかった総石垣の巨城が現れたとしたら本当にびっくりした事でしょう・・・(;^_^A

 長期戦に備えた石垣山城で秀吉は東北の諸将などとも次々と面会し、千利休らによる茶会なども度々開かれたことが知られています。またかなりの遠征ですが、淀などの姫君も同行していたとされ、淀君が使用したと伝わる化粧井戸も残っています。

 

実際に石垣山城に行くとものすごく景色が良く、南曲輪の石垣などは破城(城割り)の跡が残っているので、城好きにはたまらない山城の一つかと思います。

元旦の初日の出スポットとしても人気の場所なので車で石垣山城まで行けますが、徒歩だと最寄駅から結構歩きます。とは言っても片道1時間弱と、お散歩がてらの気持ちの良い運動になるかと思いますので、お帰りの際にはぜひ温泉で汗を流してリフレッシュしてみてはいかがでしょうか?^^

 

突然ですが・・・

小田原市観光協会様のおすすめ温泉はこちら!(笑)

小田原でも温泉が楽しめる!「日帰り温泉」スポット一覧

・・・・かまぼこ&ビール、そして小田原の海の幸もお楽しみ下さい(笑)

  

アクセス
 ・徒歩
  JR早川駅から石垣山農道を経て徒歩約50分
  箱根登山鉄道入生田駅から徒歩約60分

 

■御城印
サイズ 105㎜×148㎜
和紙(日本製)

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