武将印紹介50 松平忠輝(墨将印)

5月の墨将印の新作は徳川家康の六男で伊達政宗の娘・五郎八姫の夫としても有名な松平忠輝が登場です^^

 

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六男という宿命もあるのか、幼い頃から家康との接点も少なく、下総国佐倉、信濃国川中島(松代)、上越国高田と各地を転々とさせられるなど不遇だったとされています。家康から嫌われていたとも伝わる忠輝ですが、兄弟たちとの格差に嫌気が差したのか、素行の悪さが日に日に際立つようになり、家臣達は家康から処分を受けたとも伝わります。

武芸に長けていた忠輝にもやっと活躍の機会が巡ってきたと思われた「大坂冬の陣」では、江戸城の留守を任されるも納得いかず出立を渋っていた事で義父の伊達政宗からも叱られています。

「大坂夏の陣」には従軍できたものの目立った活躍も出来ずさらには軍法違反を繰り返しました。これには家康だけでなく秀忠からも怒りを買い、家康からは面会禁止を言い渡され、秀忠からは改易と伊勢国への配流を言いつけられました。

 

のちに諏訪高島城で幽閉生活となりますが、配流決定から67年も生き続けて92歳、五代将軍・徳川綱吉の時代まで生きた事で知られています。また余談となりますが、昭和59年、忠輝公の300回忌に合わせて徳川宗家十八代当主・徳川恒孝氏が罪を許すという赦免を行うなど忠輝公の名誉回復がなされました。