武将印紹介44「島津忠良」(墨将印)
本日12月12日は島津日新斎こと忠良が亡くなった日となりますので墨将印のご紹介となります^^
島津日新斎忠良が加世田城で没す。享年77歳。
島津忠良は伊作(いざく)島津家善久の子で通称菊三郎、三郎左衛門、相模守を称し、のち愚谷軒日新斎と号しました。守護の本家勝久や薩州家の実久に競り勝ち、ついに嫡子の貴久に本家を継がすことに成功、島津家中興の祖といわれる名君として知られます。
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また人をみる目も確かで、島津義久・義弘・歳久・家久という孫の四兄弟についても「義久は三州の総大将たるの材徳自ら備わり、義弘は雄武英略を以て他に傑出し、歳久は始終の利害を察するの智計並びなく、家久は軍法戦術に妙を得たり」と高く評価していたと伝わります。
日新公いろは歌
「島津に暗君なし」と言われるほど、事あるごとに名君を輩出した島津家。
その中でも忠良は郷中教育の重要性を早くから認識し、いろは歌という形でその精神を薩摩隼人に根付かせました。
似たような教育制度として幕末会津藩の「什」で知られる『什の掟』というのもありますが、優れた家臣も多かった薩摩の精神は現代にも通じる部分が多いです^^
なかなかゆっくり読む機会もないですが、下記「日新公いろは歌」全文のうち、どこか一節でも皆様の人生の糧となれば幸いですm(_ _)m
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いにしへの道を聞きても唱へても わが行ひにせずばかひなし
楼の上もはにふの小屋も住む人の 心にこそはたかきいやしき
はかなくも明日の命を頼むかな 今日も今日もと学びをばせぞ
似たるこそ友としよけれ交らば われにます人おとなしき人
ほとけ神他にましまさず人よりも こころに恥ぢよ天地よく知る
下手ぞとて我とゆるすな稽古だに つもらばちりも山とことの葉
科ありて人を斬るとも軽くすな いかす刀もただ一つなり
智恵能は身につきぬれど荷にならず 人はおもんじはづるものなり
理も法も立たぬ世ぞとてひきやすき 心の駒の行くにまかすな
ぬす人は余所より入ると思うかや 耳目の門に戸ざしよくせよ
流通すと貴人や君が物語り はじめて聞ける顔もちぞよき
小車のわが悪業にひかれてや つとむる道をうしと見るらん
私を捨てて君にし向はねば うらみも起こり述懐もあり
学文はあしたの潮のひるまにも なみのよるこそなほ静かなれ
善きあしき人の上にて身を磨け 友はかがみとなるものぞかし
種子となる心の水にまかせずば 道より外に名も流れまじ
礼するは人にするかは人をまた さぐるは人をさぐるものかは
そしるにもふたつあるべし大方は 主人のためになるものと知れ
つらしとて恨みかへすな我れ人に 報ひ報ひてはてしなき世ぞ
ねがはずば隔てもあらじいつはりの 世にまことある伊勢の神垣
名を今に残しおきける人も人 心も心何かおとらん
楽も苦も時すぎぬれば跡もなし 世に残る名をただ思ふべし
昔より道ならずしておごる身の 天のせめにしあはざるはなし
憂かりける今の世こそは先の世と おもへばいまぞ後の世ならん
亥にふして寅には起くとゆふ露の 身をいたづらにあらせじがため
遁るまじ所をかねて思ひきれ 時に到りて涼しかるべし
思ほへず違ふものなり身の上の 欲をはなれて義をまもれひと
苦しくもすぐ道を行け九曲折の 末は鞍馬のさかさまの世ぞ
やはらぐと怒るをいはば弓と筆 鳥にふたつのつばさとを知れ
万能も一心とあり事ふるに 身ばし頼むな思案堪忍
賢不肖もちひ捨つると言ふ人も 必ずならば殊勝なるべし
無勢とて敵をあなどることなかれ 多勢を見ても恐るべからず
心こそ軍する身の命なれ そろゆれば生き揃はねば死す
回向には我と人とを隔つなよ 看経はよししてもせずとも
敵となる人こそはわが師匠ぞと おもひかへして身をもたしなめ
あきらけき目も呉竹のこの世より 迷はばいかに後のやみぢは
酒も水流れも酒となるぞかし ただ情けあれ君がことの葉
聞くことも又見ることも心がら 皆まよひなりみな悟りなり
弓を得て失ふことも大将の 心一つの手をばはなれず
めぐりては我身にこそは事へけれ 先祖のまつり忠孝の道
道にただ身をば捨てむと思ひとれ かならず天のたすけあるべし
舌だにも歯のこはきをば知るものを 人は心のなからましやは
酔へる世をさましもやらでさかづきに 無明の酒をかさぬるは憂し
ひとり身をあわれと思へ物ごとに 民にはゆるすこころあるべし
もろもろの国や所の政道は 人に先づよく教へ習はせ
善に移り過れるをば改めよ 義不義は生れつかぬものなり
少しきを足れりとも知れ満ちぬれば 月もほどなき十六夜のそら