一休宗純禅師

昨日11月21日は京田辺市で最も有名な人物「一休宗純」禅師が示寂された日(命日)となります。

(※画像はWikipediaより)

 

全国的には幼少期の「とんちの一休さん」で親しまれていますが、一休宗純といえば枝にドクロをつけて「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩いたという破戒僧的なイメージも忘れてはならない一休さんの一面です。禅師の戒律に囚われないような姿は、民衆には親しみやすい人物として人気があったとされています。

 

そんな一休宗純禅師の終の棲家が京田辺市にあります酬恩庵一休寺です。

命日の翌日となりますが、紅葉も今が見頃となってました^^

 

すこし時代は変わりますが、戦国時代との関わりとして、一休寺には近江観音寺城主・佐々木承禎(六角義賢)とその一族のお墓が残っています。

京田辺市の飯岡地域には織田信長包囲網の一角を担った三好家の長老・三好長逸(三好三人衆のひとり)の飯岡城があった事も知られているので、観音寺城を追われた六角承禎は南下して三好三人衆の勢力圏内であった京都(山城国)に逃れたようです。

また大坂夏の陣でこの地を通り、かつては一休宗純のお寺として知られた酬恩庵の荒廃ぶりを嘆いたのが加賀三代藩主・前田利常でした。

 

利常は大坂の陣後に酬恩庵を再興した功労者ですが、その際、加賀前田家に仕えていた六角家宗家・佐々木定治がこの再建に携わったそうです。

そんな繋がりから観音寺城主・六角家(佐々木家)の墓が一休さんのお寺にあるみたいです。(>▽<)b

 

機会がありましたらぜひ紅葉の時期の酬恩庵一休寺をお楽しみ下さい。

ちなみに大徳寺第47世住持でもある一休宗純禅師が大徳寺に伝え遺したといわれている「大徳寺納豆」(酬恩庵一休寺では一休寺納豆)もご住職が毎年丹精込めて作られてます。好き嫌いあるかと思いますが、家康が愛した「浜納豆」にも通じる味。「一休寺納豆」

こちらもぜひお土産にどうぞ♪><