元治元年(1863年)6月5日「池田屋事件」

本日6月5日は京都の旅館・池田屋で討幕の謀議をしていたという
長州藩・土佐藩・肥後藩を中心とする約40名の尊皇攘夷派の志士が
近藤勇率いる新選組によって襲撃を受けた日です。

新選組の名を有名にした「池田屋事件」

文久2年(1864年)6月5日22時頃、池田屋に集まっていた討幕を目論む勤皇志士らは
近藤勇・沖田総司・永倉新八・藤堂平助ら四名が中心となった十数名から
襲撃を受けて大混乱に陥りました。

もちろん外には新選組の他の隊員が取り囲んでいたため逃げ場はなく
後から来た土方歳三・斎藤一らが率いる一隊が襲撃に加わったことで
半数近くの勤皇志士が捕縛されたといいます。

勤皇志士で討ち取られることも捕縛されることなく逃げれたのは
ほんの数名だったと伝わります。

またこの謀議には桂小五郎(のちの木戸孝允)も参加する予定でしたが
小五郎は池田屋に早く着き過ぎてしまったので一旦池田屋を出て
大島友之允のいる対馬藩邸で談話していた事から難を逃れたそうです。

前年の文久3年(1863年)2月に壬生の屯所に赴任したばかりの新選組。
(正確には浪士組のち壬生浪士組を経て新選組と改名)

上洛から僅か1年4か月後には京都守護職(会津藩)配下の
治安部隊として一躍その名を知られるようになりました。

「猛者の剣」と「無敵の剣」

最強剣士集団であった新選組のなかでも
二番隊組長・永倉新八から
「猛者の剣」・「無敵の剣」と呼ばれた人物がいます。

それが一番隊組長・沖田総司と三番隊組長・斎藤一です。

新八は同じく撃剣師範の立場にあった二人を
“沖田は猛者の剣、斎藤は無敵の剣”と言っています。

「池田屋事件」では襲撃を受けた尊王攘夷派も流石に無抵抗ではなく
藤堂平助は額を斬られて戦線離脱。沖田総司もこの戦いの最中に
病気の悪化による吐血で戦線を離脱したとも伝わっています。

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