武将印紹介2 「大友宗麟」(墨将印)

本日5月23日が大友宗麟の命日ということで武将印・大友宗麟の紹介です^^

大友宗麟こと義鎮は享禄3年(1530)1月3日豊後大友氏二十代当主・大友義鑑の
嫡男として豊後府内大友館に生まれました。

しかし宗麟21歳のとき、父・義鑑が異母弟の塩市丸に家督を譲ろうとした事から
『大友二階崩れ』と呼ばれるお家騒動に発展。この乱を制した宗麟が家督を継ぎました。


また宗麟はとても戦上手でもあり、周防大内家を滅亡させて九州に侵攻してきた
毛利家ともたびたび北九州の地を巡って争い撃退しています。

1560年頃には本拠地を臼杵城へと移して幕府より豊前・筑前の守護職とともに九州探題にも補任。
元亀2年(1571)には九州六カ国を治める勢力として九州最大の勢力として
島津氏・龍造寺氏と共に九州を三分するまでに成長しています。

その後、島津氏に追われた日向の伊東義祐・義益父子に頼まれて日向に出陣しますが
元亀4年(1573)「耳川の戦い」で大敗を喫してからは衰退の一途を辿りました。

島津氏にほぼ領地を奪われた天正14年(1586)には秀吉に援軍を要請。
翌年には秀吉によって九州も統一されますが、その直後の天正15年(1587)5月23日
豊後海部郡津久見館で病没しました。享年58歳でした。

「豊後の王」キリシタン大名の代表格

20代でフランシスコ・ザビエルなどの宣教師と出会って以来、
領地内でのキリスト教の布教活動を保護して南蛮貿易も行っていた宗麟さん。

この南蛮貿易によって大分の地にはフランキ砲(国崩し)などの武器のほか
このとき初めてかぼちゃなどの野菜も日本に伝わったとされています。

洗礼を受けたのは意外にも遅くキリスト教と出会ってから27年後の天正6年(1578)
49歳のときに洗礼を受けて「ドン・フランシスコ」の名を授かっています。
キリシタン大名の代表格として「豊後の王」と呼ばれたという記録も残っているので
当時のヨーロッパでは織田信長よりも有名な日本の武将だったのかもしれません^^

日向国にキリシタンの理想国家「musica(無鹿)」の建国するというのは
島津氏に阻まれて挫折してしまいましたが・・・^^;
領民なら誰でも無料という西洋医学の診療所をつくって
流行病の治療などを行ったでも知られています。

■墨将印
サイズ 105㎜×148㎜
和紙(日本製)

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墨城印:岡城,臼杵城(御城印)
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の7点セットです。


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※墨絵馬の各種画像はイメージです。実際は天然木のため木目などが変わります。
 ご理解の上ご購入をお願い申し上げます。

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